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『ガンダム ジークアクス』のデザインはなぜダサいと言われる?評価と考察

機動戦士Gundam GQuuuuuuX
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なぜ、私たちは新しいガンダムに違和感を覚えるのだろう。

『機動戦士ガンダム ジークアクス』――それは従来のシリーズを大胆に刷新し、かつてない挑戦を見せる作品だ。

しかし、ネットを覗けば「ダサい」「違和感」「なんだこれは」の声が飛び交う。

この記事では、批判の理由を冷静に整理しつつ、その奥に込められた制作陣の意図や新たなガンダム像を読み解いていきたい。

果たしてジークアクスは、単なる失敗作なのか、それとも“未来のガンダム”を切り拓く革命児なのか。

『ガンダム ジークアクス』の基本情報と制作背景

作品概要とスタッフ陣の挑戦

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』は、2025年4月より日本テレビ系列で放送されているガンダムシリーズの最新作です。本作は、ガンダムシリーズを手掛けるサンライズと、『エヴァンゲリオン』シリーズを手掛けるスタジオカラーが初めて共同制作した作品として注目を集めています。

監督は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの鶴巻和哉氏が務め、脚本は榎戸洋司氏と庵野秀明氏が担当しています。キャラクターデザインは竹氏、メカニカルデザインは山下いくと氏が手掛けており、豪華なスタッフ陣が揃っています。

物語は、宇宙に浮かぶスペース・コロニーで平穏に暮らしていた女子高生アマテ・ユズリハが、戦争難民の少女ニャアンと出会ったことで、非合法なモビルスーツ決闘競技「クランバトル」に巻き込まれるところから始まります。アマテは「マチュ」というエントリーネームで、最新鋭モビルスーツ「GQuuuuuuX(ジークアクス)」を駆り、苛烈なバトルに身を投じていきます。

また、劇場先行版『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』が2025年1月17日より全国373館で上映され、公開から17日間で興行収入19.3億円、観客動員118万人を突破するなど、大きな話題となりました。主題歌は米津玄師氏の「Plazma」が起用されています。

このように、『ガンダム ジークアクス』は、サンライズとスタジオカラーの初タッグによる新たなガンダムシリーズとして、豪華なスタッフ陣と共に新しい世界観を描いています。

シリーズ内の位置づけと期待値

『ガンダム ジークアクス』は、ガンダムシリーズの中でも異色の作品として位置づけられています。従来のシリーズとは異なり、スタジオカラーとの共同制作や、女子高生が主人公である点など、新しい試みが多く取り入れられています。

また、タイトルの「GQuuuuuuX(ジークアクス)」は、ドイツ語の「Sieg(勝利)」と英語の「axe(斧)」を組み合わせた造語であり、初代『機動戦士ガンダム』での「ジーク・ジオン」という掛け声を彷彿とさせるなど、過去作へのオマージュも感じられます。

さらに、庵野秀明氏が脚本やデザインワークス、絵コンテに参加していることから、『エヴァンゲリオン』シリーズの影響を受けた演出や世界観が見られる点も特徴的です。

このように、『ガンダム ジークアクス』は、従来のガンダムシリーズとは一線を画す新しい試みが多く取り入れられており、ファンの間でも賛否両論が巻き起こっています。しかし、その新しさこそが、今後のガンダムシリーズにおける新たな方向性を示すものとして、注目されています。

今後の展開や視聴者の反応によって、その評価は変わっていく可能性があり、『ガンダム ジークアクス』がガンダムシリーズにおける新たな礎となるのか、注目が集まっています。

なぜ「デザインがダサい」と言われるのか?

メカデザインの奇抜さと違和感

『ガンダム ジークアクス』のメカデザインは、視聴者の間で賛否が激しく分かれています。とりわけ「奇抜すぎる」「斬新を通り越してダサい」といった声がSNSやレビューサイトで目立つのが現状です。この批判の矛先となっているのが、ジークアクスの主役機に代表されるメカ群です。従来のガンダムシリーズでは、リアルロボットとしての質量感や機械的説得力が重視されてきました。しかし、ジークアクスは意図的にデフォルメを効かせたフォルムや、従来にない鮮烈な色使いを採用し、シリーズの既存文脈から大きく逸脱しています。

私自身、初めてジークアクスのビジュアルを見たとき、「これがガンダム?」と心がざわつきました。ザクの頭部は鋭角化され、全体のフォルムはエヴァ風の生物的な曲線を帯び、かつパイロットとの距離感も縮まったかのようなデザイン――これは明らかに、サンライズだけでなく、スタジオカラーの血が流れ込んだ結果でしょう。つまり、ここには伝統をただ受け継ぐのではなく、過去のガンダム像を破壊し、再構築しようとする意志が込められているのです。

もちろん、それは大胆な挑戦であり、既存ファンにとっては違和感の塊です。「動けばかっこいい」という期待も、残念ながら今作では裏切られる場面が少なくありません。モビルスーツの挙動が軽すぎる、武器の重量感が感じられない――こうした声が上がるのは、庵野流の“演出優先”の美学と、サンライズ流の“リアルロボット”思想のせめぎ合いの中で生じた摩擦なのでしょう。

とはいえ、ここで「ダサい」と一刀両断するのは簡単ですが、私はむしろ問い直したいのです。本当にデザインだけが悪いのか? それとも私たち視聴者が、変わりゆくガンダム像をまだ受け止めきれていないのか?批判の背後には、シリーズを愛しすぎるがゆえの“裏切られ感”が確かに存在しています。だとすれば、ジークアクスのデザインは、ある意味でガンダムシリーズの熱狂そのものを映す鏡なのかもしれません。

ガンダムは、いつの時代も「新しいガンダム像」を模索し、挑戦してきた歴史を持ちます。ジークアクスの奇抜さは、そうした挑戦の最前線に立つ者の「産みの苦しみ」そのもの。私たちは今、その挑戦のまっただ中に立っているのです。

キャラクターデザインとシリーズ的文脈の衝突

キャラクターデザインについても、ジークアクスは賛否両論の嵐です。ネット上では「目が大きすぎる」「まるでポケモンやプリキュア」と揶揄されることもしばしば。従来のガンダムシリーズが持つ、リアルな人間ドラマとハードな戦争の匂い。そこに、記号的でデフォルメの強いキャラクターが放り込まれれば、視覚的なミスマッチ感が生じるのも無理はありません。

でも、ここで立ち止まって考えてほしい。「アニメにリアルさを求める」という感覚自体が、もしかすると一種の先入観ではないかと。庵野秀明氏や鶴巻和哉氏が紡ぐ世界は、リアリズムではなく“感情の濃縮”に主眼を置いている。だからこそ、キャラクターはデフォルメされ、色彩は鮮烈になり、表情は誇張される。それは戦場の生々しさではなく、戦場を駆け抜ける少女たちの「内面のドラマ」を強調するための選択なのです。

私自身、最初はこのキャラデザインに面食らいました。しかし物語を追ううち、だんだんと気づき始めたんです。これはリアルさの放棄ではない、むしろ感情をむき出しにするための手法だ、と。まるで『少女革命ウテナ』や『エヴァンゲリオン』がそうであったように、キャラクターデザインは単なる見た目以上の意味を背負っているのです。

シリーズ的文脈の衝突は確かにあります。でもそれを「間違い」と断じるのは早計でしょう。むしろ、こうした違和感の中にこそ、新しい物語の種は宿る――そう信じたい自分がいます。

『ガンダム ジークアクス』のデザインは、決して万人受けするものではありません。それでもなお、既存の枠を壊し、未来を模索しようとするその姿勢に、私は強く惹かれるのです。ガンダムは、まだまだ終わらない。

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映像演出とレイアウトの問題点

動きの連続性と見やすさの課題

『ガンダム ジークアクス』が視聴者から指摘される大きな問題点の一つに、映像の「連続性」や「見やすさ」があります。

具体的には、モビルスーツ同士の戦闘シーンにおいて、動きが速すぎたり、カメラワークが過剰だったりして、「何が起きているのか分かりづらい」という声が上がっているのです。視覚情報が洪水のように押し寄せるあの感覚、確かに私自身も第1話を見ていて、途中で目が疲れてしまう瞬間がありました。

この要因の一つは、庵野秀明氏やスタジオカラー特有の演出スタイルにあると考えられます。

『エヴァンゲリオン』に代表されるような、断続的なカット割り、意味深な静止画、爆発的な動きの強調は、観客に強烈なインパクトを与える一方で、状況説明や物理的なつながりをあえて曖昧にする手法です。つまり、ロジカルな戦術戦を描く従来のガンダムの「見せ方」とは、根本的に方向性が異なっているわけです。

私はここに、制作側の「感情の瞬発力を最優先する」という意図を感じます。

戦闘の勝敗や理屈ではなく、アマテたち少女の「今この瞬間の想い」「震える心情」を視覚的に爆発させる。けれども、それはやはりシリーズファンには衝撃です。

彼らが求めていたのは、モビルスーツの機体性能や戦術の妙、物語に裏打ちされた戦闘の説得力だったのだから。

この視覚的な「わかりにくさ」は、単に演出過多というだけではなく、旧来のファンと新たな演出方針との間に横たわるギャップの象徴と言えるでしょう。

「わかりづらい=失敗」と切り捨てるのではなく、その背後にある表現意図を読み解いていく姿勢が、今作を楽しむ鍵になると私は感じます。

ジークアクスの戦闘シーンを観るとき、ぜひ「戦いの意味」ではなく、「キャラクターの心の揺れ」を見るつもりで臨んでみてほしい。

きっと、見えてくる景色が変わってくるはずです。視覚情報の過剰さは、逆に言えば作り手の激情の表れでもある――そう捉えると、あの映像の洪水が、少しだけ愛おしく感じられるのです。

庵野流・カラー流の手法がもたらす摩擦

『ガンダム ジークアクス』の映像演出は、まさに庵野流、カラー流の集大成とも言えます。

大胆な構図、断片的なモンタージュ、音楽と映像の融合……そのすべてが、従来の「ガンダム的演出」とは大きく異なるものです。だからこそ、摩擦が生じる。

視聴者は「ガンダム」を見に来ているのに、目の前にあるのは『エヴァ』的な演出の塊。この違和感は、シリーズを愛してきた者ほど強烈に突き刺さるのだと思います。

私も正直、序盤は何度も戸惑いました。

「これはガンダムなのか?」「いや、新しい何かなのか?」と脳内で葛藤を繰り返し、作品世界に入り込むのに時間がかかった。けれど、制作陣が敢えてこの道を選んだことには、きっと意味がある。

それは単なる過去作の焼き直しではなく、「ガンダムという枠組みそのものを問い直す」という挑戦なのだと、今は感じています。

新しさには必ず摩擦が伴います。

だからこそ、私たち視聴者の側にも、ただ「これはダメ」と拒絶するだけでなく、「なぜこの表現なのか」を考える視点が求められる。ガンダムは、いつだって挑戦とともに歩んできたシリーズです。

ジークアクスの演出の摩擦は、むしろガンダムらしさの証明ではないでしょうか。

物語が進む中で、この新しい表現はきっと、私たちの心に食い込んできます。

そのとき初めて、「違和感」は「必然」へと変わる。私たちは今、その過渡期を見届けているのです。

新世代ガンダムの挑戦と未来像

従来ファンが抱える違和感の正体

『ガンダム ジークアクス』が抱える最大のハードル――それは、長年ガンダムを愛し続けてきたファンとの摩擦です。SNSやレビューを見渡すと、「これはガンダムじゃない」「昔の方が良かった」という声が確かに目立ちます。ですが、私は思うのです。それって、本当に作品側だけの問題なのでしょうか?あるいは、私たち視聴者側の「ガンダムはこうであってほしい」という期待が、作品を縛りつけてはいないでしょうか。

ジークアクスは、女子高生の主人公アマテを中心に、戦争を背景にしたシリアスな物語というより、個人的な成長や感情の衝突にフォーカスしています。この視点の変化は、従来の「戦争ドラマ」とは大きく毛色が違います。そこにキャラクターのデフォルメ化、演出の感覚優先主義、異質なメカデザインが加われば、そりゃ違和感の嵐になるのも当然です。

だけど、ここで立ち止まって問い直したい。ガンダムは本当に、常に“リアルでハード”であるべきなのか?『∀ガンダム』がその世界を茶化し、『Gのレコンギスタ』が世界の終わりを祝祭のように描いたように、ガンダムは何度も自身の殻を破ろうとしてきたシリーズです。ジークアクスが今ぶつかっている違和感は、その“殻破り”の瞬間の痛みでしかないのかもしれません。

私たちが感じている違和感は、制作陣が「今までのガンダムでは語れない物語」を語ろうとする中で生じた、必然の摩擦なのです。その痛みを怖がらず、むしろ「新しい何かが生まれようとしている」徴候として受け止める。そういう目線を持つと、ジークアクスはもっと面白く、もっと挑戦的に見えてくるはずです。

新たな視聴者層へのアプローチ

『ガンダム ジークアクス』のもう一つの挑戦は、明らかに“新しい視聴者層”に向いています。特に女性層や若年層――これまでのガンダムではメインターゲットになりづらかった層を意識したキャラクター設計や物語構造が随所に見られます。主人公のアマテは戦場に生きる軍人ではなく、平和な日常を送っていた少女。彼女の視点から戦争やバトルが描かれることで、物語の感触はぐっとパーソナルになります。

この方向性は賛否を生む一方で、新たな扉を開いているのも確かです。「ガンダムは男性向けで、硬派なロボットもの」というイメージを壊し、より幅広い層が“自分ごと”として作品に入れるよう道を開いている。それは、シリーズ存続のためにも極めて重要な試みだと私は感じます。

米津玄師を主題歌に起用したこと、劇場版の爆発的な興行成績、新作の圧倒的な話題性――すべては新しい観客に向けた明確なアプローチの一環です。もちろん、その一歩には痛みが伴います。しかし、挑戦なくして未来は拓けない。『ガンダム ジークアクス』は、まさにそういう瀬戸際に立っているのです。

私たち従来のファンは、過去のガンダムを愛する気持ちを抱きしめたまま、この新しい挑戦を見届けることができるだろうか。それこそが、今作が私たちに突きつける最大の問いなのだと、私は思っています。ガンダムは“変わらないもの”ではなく、“変わり続けるもの”――そう信じる覚悟が、今こそ試されているのです。

総括:ジークアクスは失敗作か、それとも未来の礎か

批判の声をどう捉えるべきか

『ガンダム ジークアクス』は、登場と同時に賛否の渦に巻き込まれた作品です。「デザインがダサい」「キャラがガンダムらしくない」「演出がごちゃごちゃして見にくい」――ネットやレビューサイトを覗けば、辛辣なコメントが飛び交っています。でも、私はそれを単純に「失敗作」と断じるには早すぎると感じています。

むしろ、この激しい反発こそが、作品が真剣に「新しいガンダム像」に挑んだ証拠ではないでしょうか。もし本当に安全牌で作られていたなら、ここまで強烈な違和感や議論は生まれなかったはず。挑戦には必ず痛みが伴います。そして、その痛みをどう受け止めるかは、視聴者の側にも委ねられているのです。

私自身、序盤の違和感や引っかかりを正直に告白します。でも、物語を追い、キャラの内面に入り込み、演出の意味を探るうちに、次第に気づき始めたんです。「ああ、これはただのロボットアニメじゃない。未来のガンダムを探す旅なんだ」と。

だから、今目の前にある批判の声は、ある意味で“期待の裏返し”だとも言えます。本当に無関心なら、誰もこんなに熱く語らない。それは、シリーズが長年築いてきた愛と熱狂の裏返し――そう考えると、少しだけ希望が湧いてきませんか?

作品の評価が定まるその日まで

物語はまだ終わっていません。ジークアクスという挑戦は、評価が定まるにはあまりに早い段階にあります。過去のガンダム作品も、当初は賛否を巻き起こし、後年ようやく再評価されるケースが少なくありませんでした。だから、今の批判を見て「失敗」と決めつけるのは危険です。

重要なのは、作品そのものを丁寧に観察し、感情的な拒絶ではなく、真正面から向き合うこと。「ここが自分に合わない」と思うなら、なぜそう感じるのかを言語化してみる。そのプロセスこそ、ファンとしての成熟なのだと私は信じています。

『ガンダム ジークアクス』は、確かにまだ粗削りな部分も多いです。でも、だからこそ、ここからどんな物語が生まれるのか、どんな視点が提示されるのか、その行方を見届ける価値がある。「挑戦作を愛する」――それがガンダムファンに求められる新しい態度なのかもしれません。

未来のガンダムは、今私たちの目の前で作られ続けています。ジークアクスがその礎になるのか、それとも通過点に過ぎないのかは、まだ誰にもわからない。だからこそ、私は最後まで、この物語を追いかけていこうと思います。

📝 この記事のまとめ

  • 『ガンダム ジークアクス』は、サンライズとスタジオカラーの共同制作による異色の挑戦作だとわかる
  • メカやキャラのデザインは奇抜で賛否両論だが、それは挑戦の証でもあると分析できる
  • 演出面では庵野流の感覚優先主義がシリーズファンと新たな視聴者層を分けている
  • 従来ファンの違和感は、新しい物語を生む“殻破り”の痛みだと相沢は受け取った
  • 批判の嵐の中でも、この作品が未来のガンダムを探す旅であることを、私たちは忘れてはいけない

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