『日本三國』3巻では、聖夷西征がついに本格開戦し、大和と聖夷の戦いが軍略・人物ドラマの両面から大きく動き始めます。
前巻までに張られていた「投降」の罠は戦場へとつながり、平殿継の失策、聖夷軍7万の侵攻、龍門の空城の計、そして三角青輝の再始動へ。ここから『日本三國』という物語が、個人の復讐や政争だけではない「國と國の歴史」へ広がっていく重要巻です。
※この記事では『日本三國』3巻の重要展開をネタバレ込みで詳しく解説します。未読で展開を知りたくない方はご注意ください。
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『日本三國』3巻ネタバレ|何が起きる巻なのか?
『日本三國』3巻の中心となるのは、輪島桜虎率いる聖夷による「聖夷西征」の本格開戦です。
前巻では、聖夷総帥の側近が大和へ投降を希望しているという情報が持ち込まれていました。しかし、それは大和軍を特定の場所へ誘導するために仕組まれた偽情報でした。
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大和側では帝の命令を受け、平殿器の息子・平殿継が兵を率いて國境方面へ向かいます。
ところが、この行軍こそ聖夷側が待っていたものだったのです。
大和軍を金沢方面に引きつけている間に、聖夷は大和側が十分な侵攻路とは考えていなかった白山方面を利用。事前に道を整備し、大軍を別方向から侵入させます。
そして大和領の奥越へ、総勢7万もの聖夷軍が侵攻します。
九頭竜城を含む城々は急襲され、わずか3時間後には3つの城が聖夷軍の手に落ちました。
ここが3巻の大きな転換点です。
それまでの『日本三國』は、三角青輝が中央で政治や制度、人間関係と向き合う物語という印象も強かった。しかし3巻では、その政治判断が現実の「兵」「城」「住民」「死」と直結します。
紙の上で動いていた策が、急に血の通った歴史になるんですよね。
そして面白いのは、聖夷が単純に強いから大和を圧倒するわけではないことです。
大和にも聖夷にも判断を誤る人物がいる。一方で、その失敗を別の人物が拾い上げ、戦局を修正しようとする。
『日本三國』3巻は、天才軍師同士だけが盤上で駒を動かす物語ではありません。
人間の欲、焦り、虚栄心、恐怖、覚悟まで全部ひっくるめて戦争になる。
そこが、この巻から一段深くなっていく部分だと感じました。
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『日本三國』3巻ネタバレ|平殿継が聖夷の策略に嵌まる
3巻序盤で大きな役割を担うのが、平殿器の息子・殿継です。
聖夷側からもたらされた投降話を受け、殿継は兵を率いて國境へ向かいます。
しかし道中では、部下から「このまま進めば逃げ場がなくなる」という趣旨の警告も出ていました。
普通なら、ここで一度立ち止まるべき場面でしょう。
ところが殿継は、その警告を権力で押さえ込んでしまいます。
そして部隊は聖夷国の金沢へ入ることになります。
これだけを見ると、「傲慢な人物が罠に落ちた」という分かりやすい展開です。
でも『日本三國』は、そのまま殿継を単純な愚者として処理しません。
ここが面白い。
金沢で待っていたのは歓迎ではなく夜襲だった
金沢城へ入った大和軍は、敵側から宴でもてなされます。
しかしその後、聖夷の加賀省長・長尾による夜襲が発生します。
大和側には100名を超える死者が出る事態となり、さっきまでの「投降」や「歓待」の空気は一瞬で戦場へ反転しました。
食卓の向こう側にいた相手が、次の瞬間には敵になる。
『日本三國』の怖さって、こういうところなんですよ。
戦争が始まる瞬間に、必ずしも大仰な号砲が鳴るわけではない。
人は笑い、食事をし、話をしている。その数時間後には殺し合っている。
文明崩壊後の未来を描きながら、やっていることは歴史の中で何度も繰り返されてきた騙し合いです。
未来なのに、ものすごく古い。
この歪さが『日本三國』らしいところだと思います。
長尾の夜襲も聖夷全体の計画ではなかった
さらに重要なのが、金沢での夜襲そのものが聖夷の本来の目的ではなかったことです。
長尾は功績を求めて、予定とは異なる行動を取ってしまいます。
つまり大和だけが「愚かな判断」で苦しんでいるわけではありません。
聖夷側にも、個人的な欲望によって全体の戦略を乱す人物がいる。
ここが実に面白い構造です。
読者レビューでも、殿継の判断だけでなく、長尾側の焦りや軍規の乱れに注目する声が複数見られました。
敵国を「完璧な軍事国家」として描かないからこそ、戦況に読めない揺らぎが生まれるんですよね。
軍略漫画では、優秀な軍師がすべてを計算し尽くしている展開になりがちです。
ところが『日本三國』では、どれほど優れた作戦を作っても、現場にいる人間がその通りに動くとは限りません。
命令する者。
功績を焦る者。
疑う者。
恐れる者。
自分の家の威光を守ろうとする者。
そのバラバラの意思によって、作戦が変形していく。
私は3巻を読み解くうえで、この「計画より人間の方が不確定」という感覚はかなり重要だと思っています。
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平殿継はただの無能ではない?3巻で見える変化
殿継は、当初かなり危うい人物として描かれます。
自分より経験を積んだ者の警告を受け入れず、立場を利用して反対意見を封じる。結果として自軍を危機へ追い込んでしまう。
ここだけなら、典型的な「権力者の愚息」です。
ところが、実際に自分の判断によって人が命を落とす状況へ置かれると、殿継の中にも変化が生まれます。
読者レビューでも特に印象的な展開として挙げられているのが、窮地の中で殿継がそれまで軽んじていた菅生に頭を下げ、助力を求める場面です。
一度の行動だけで、それまでの過ちが帳消しになるわけではありません。
しかし「頭を下げられる」ということは、この物語では決して小さくない。
自分の地位や家柄を武器にしてきた人間が、それよりも部下や仲間の命を優先する瞬間だからです。
読書メーターの感想でも、殿継の変化について「ただの愚かな子ではなかった」「今後の成長が気になる」といった受け止め方が見られます。
個人的にも、ここで殿継を完全な悪役にしなかったのはかなり好きです。
人って、失敗する前から完成しているわけじゃない。
むしろ取り返しのつかない失敗をして初めて、自分がどれだけ幼かったかを知ることもある。
戦場は、その授業料があまりにも重い。
だから読んでいて苦いんですよね。
菅生や長嶺士遼の存在も3巻の人物劇を厚くする
3巻では殿継だけでなく、菅生強や長嶺士遼など、大和側の人物たちも存在感を増していきます。
とくに金沢での危機では、「誰が正しい策を持っているか」だけではなく、「誰を信頼するのか」が重要になっていきます。
読者レビューでも、菅生と殿継の関係や長嶺士遼の登場を高く評価する声が目立ちました。
私はこの部分を見て、3巻から『日本三國』が本格的な群像劇へ変わってきたと感じました。
主人公の青輝が画面に長く出ていなくても、物語が止まらないんです。
誰か一人だけが賢く、周囲がその人物を輝かせるために愚かになる作品ではない。
殿継には殿継の未熟さがあり、菅生には菅生の判断があり、龍門には龍門の覚悟がある。
聖夷にも同じように、それぞれの思惑があります。
だから局地戦ひとつでも「次に誰がどう判断するか」が読めない。
この感覚こそ、3巻で一気に強くなる『日本三國』の面白さです。
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『日本三國』3巻最大の転換点|聖夷西征が本格開戦
金沢に大和軍を引きつけた聖夷の本当の狙いは、別ルートから大和領内へ侵攻することでした。
大和側は、災害の多い白山周辺について大軍を通すための街道整備が十分ではないと考えていました。
聖夷はその認識を逆手に取ります。
西征に備えて進軍可能なルートを準備し、7万規模の軍勢で奥越へ侵入したのです。
結果として九頭竜城を含む3城が、侵攻開始から3時間ほどで陥落します。
数字だけでも異常な速度ですよね。
しかも大和の主力の一部は金沢方面へ引きつけられている。
「敵が来るかもしれない」の段階ではなく、もう敵が領内深くまで入っている。
大和にとっては、完全な後手です。
聖夷西征が怖いのは7万という兵力だけではない
7万という数字は当然脅威です。
しかし3巻でより恐ろしいのは、相手が大和側の思考そのものを利用していることだと思います。
「ここから大軍は来ないだろう」
その常識を前提に防衛線を作れば、その前提を壊された瞬間に全体が崩れる。
これは単なる力押しではありません。
聖夷は大和の軍事的な常識を読み、さらに金沢方面への偽計と組み合わせています。
つまり「目の前の罠」と「本命の侵攻」が同時進行していたわけです。
だから大和軍は苦しい。
一つの策を見破っただけでは足りないんですよね。
そして、この展開を見ていると『日本三國』の戦争は武力よりも情報の価値が大きいと分かります。
何人いるのか。
どこから来るのか。
相手は何を知っているのか。
こちらが何を知っていると思わせるのか。
戦う前から、すでに勝敗は動いている。
青輝という主人公が「武力ではなく頭脳」を武器にする作品だからこそ、3巻でこの情報戦をしっかり見せた意味は大きいと思います。
九頭竜城の戦いが「モブにも歴史がある」と教えてくる
読者レビューでは、九頭竜城周辺の攻防や、そこで戦う名も大きく知られていなかった人物たちの描写を評価する声もあります。
佐藤義長のような人物に触れ、「主役ではない者の死に様が印象に残った」という感想も見られました。
ここは『日本三國』の歴史漫画的な面白さがよく出ているところです。
歴史の本を読めば、戦いは「○○軍7万が侵攻」「○城が陥落」と数行で終わるかもしれません。
でも、その数字の中には一人ひとりがいる。
昨日まで飯を食っていた人がいて、家族がいて、役目があって、最後の判断がある。
三角青輝や輪島桜虎のような歴史に名を残す人物だけでは歴史は成立しません。
記録には小さくしか残らない人間たちが積み重なって、ようやく「大戦」ができあがる。
3巻はその感覚を強くしてくれます。
だから、単純な戦況説明だけを追うよりも、原作のコマで一人ひとりの顔を見た方が圧倒的に重い。
ここは文章のネタバレだけでは拾い切れないところです。
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『日本三國』3巻ネタバレ|龍門の「空城の計」と輪島桜虎の駆け引き
3巻でもっとも有名な場面の一つが、龍門による「空城の計」です。
聖夷軍の侵攻を受けた大和側では、殿継の補佐である龍門が金沢へ入らず福井方面へ引き返し、次の防衛策を考えます。
しかし聖夷軍はすでに迫っている。
普通に戦えば厳しい。
そこで龍門が選んだ行動が、とんでもないんです。
龍門は武装せず、たった一人で九頭竜川の橋に立ち、迫る聖夷軍を前に茶を点て始めます。
いや、何してるんだこの人。
でも笑えない。
その場面の空気があまりにも張り詰めているからです。
龍門が使った「空城の計」とは?
空城の計とは、戦力がないにもかかわらず、あえて無防備に見せることで「何か罠があるのではないか」と敵に疑わせる策として知られています。
『日本三國』3巻でも、龍門はこの心理を利用します。
しかし重要なのは、橋の向こうに大軍を伏せているわけではないことです。
本当に、ほぼ何もない。
龍門の狙いは聖夷軍を完全に撤退させることではなく、その場で少しでも時間を使わせることでした。
その時間があれば、住民を城内へ避難させられる。
つまり龍門が賭けているものは、戦場での勝利ではありません。
時間です。
これがめちゃくちゃ格好いい。
敵兵を何千人倒した、というタイプの武勇ではないんです。
自分一人の命を敵の判断材料に変えて、一分、一秒を民の避難時間へ交換している。
軍人としての強さを「倒した人数」ではなく、「守れる人数」に置き換えているようにも見えます。
私はこの場面、3巻の中でもかなり象徴的だと思っています。
聖夷の軍師は空城の計を見抜いていた
もちろん聖夷側も愚かではありません。
龍門が使っている策について、聖夷の軍師は空城の計だと理解します。
そして「これは他に策がない窮地で使うものだ」という趣旨を輪島桜虎に伝えます。
ならば進めばいい。
理屈だけなら、そうです。
桜虎も全軍に前進を命じます。
それでも龍門は動きません。
一人で茶を点て続ける。
この瞬間、戦場が「兵数」ではなく「どちらが先に相手を信じるか」という心理戦になるんですよね。
龍門が本当に無策なのか。
無策に見せているだけなのか。
軍師の分析は正しいのか。
そもそも龍門ほどの人間が、古典的な空城の計を何のひねりもなく使うのか。
考えれば考えるほど疑念が増えていく。
そして、人間は「何も分からない状況」より、「少し分かった状況」の方が罠に嵌まることがあります。
空城の計を知らなければ、そのまま龍門を排除して進軍していたかもしれない。
でも知っているからこそ、「その知識を逆利用されているのでは?」という第二の疑念が生まれる。
この読み合いがすごく面白い。
輪島桜虎は弓を構える
ついに桜虎は、橋の上にいる龍門へ弓を向けます。
策を見破ったのなら撃てばいい。
龍門を排除して、そのまま進めばいい。
なのに、その単純な行動すら重くなる。
なぜ龍門は逃げないのか。
なぜ茶を点て続けられるのか。
この静けさが、7万の軍勢より大きく見えるんですよね。
読者レビューでも、3巻の印象的な場面として「空城の計」「龍門と桜虎の駆け引き」を挙げる声が非常に多く見られます。
一方で、「その場で龍門を討ち取ればよかったのではないか」「軍略として考えると疑問も残る」といった意見もあります。
この評価が割れるのも分かります。
純粋な軍事合理性だけで見れば、もっと直接的な選択肢を想定することはできます。
ただ、私はこの場面の本質は「古典戦術をそのまま再現したこと」ではないと思っています。
相手が合理的な人間だからこそ、合理性を過剰に読ませる。
そこが龍門の勝負だったのではないでしょうか。
そして実際、彼が欲しかったものは大勝利ではありません。
わずかな時間。
この目的設定を忘れると、「なぜこんな危険な賭けを?」となります。
逆に目的を理解すると、龍門にとって自分の命さえ盤上の駒だったことが見えてきます。

『日本三國』3巻で三角青輝が再始動|帝への拝謁は何を意味する?
3巻では戦場の描写が長く続くため、主人公・三角青輝は相対的に前面へ出てきません。
読者レビューでも「主人公ほぼ不在」と評されるほどです。
でも、これがむしろ効いている。
戦場で大和が追い込まれている一方、中央に残された青輝も状況を見ています。
そして巻末では、青輝がある目的のために帝への拝謁へ向かう姿が描かれます。
ここでようやく主人公が再び盤面へ手を伸ばす。
3巻は戦争の決着まで描く巻ではなく、青輝が次の一手を打つ直前までを描いた巻とも言えるでしょう。
青輝が前線にいないこと自体が重要
個人的に面白いのは、主人公を無理に戦場へ投入していないところです。
青輝は武人ではありません。
彼の強さは、剣を振るうことでも軍勢の先頭に立つことでもなく、情報を整理し、人間を読み、制度と論理を使って状況を動かすことにあります。
だから前線では龍門たちが戦う。
中央では青輝が別の方法で戦う。
役割が分かれているんです。
この構造によって、「主人公だけが全部解決する物語」にならない。
龍門には龍門しかできない仕事があり、青輝には青輝しかできない仕事がある。
これは群像劇としてかなり大事です。
賀来から残された情報と青輝の思考
読者レビューには、青輝が賀来から残されたメッセージに気付き、それをもとに動き始めた点へ注目する感想もあります。
また、大和側の兵站について、青輝がそれ以前に関わった農政改革が結果として支えになっていると捉える読者もいました。
ここは『日本三國』という作品の面白さがよく出ています。
主人公がその場で奇策を叫ばなくても、以前に行った政治や制度改革が戦争の局面で意味を持ってくる。
農業。
兵糧。
輸送。
政治。
軍事。
一見別の話に見えるものが、戦争になると全部つながる。
戦争は兵士だけで戦うものではない。
食べ物を作る人も、道を整える人も、判断を下す政治家も、情報を運ぶ人間も全部参加している。
この現実を、エンタメとして読める形に落とし込んでいるところは『日本三國』の強みだと思います。
『日本三國』3巻はなぜ重要?群像劇へ変化する物語を考察
ここからは私見です。
『日本三國』3巻が重要なのは、「大きな戦争が始まったから」だけではないと考えています。
本当に大きい変化は、世界が三角青輝の見えている範囲を超えて動き始めたことです。
1人の主人公を追いかけるだけでは世界の全貌を把握できなくなってくる。
これによって、作品が一気に「未来の日本史」らしくなっています。
3巻では「正しい人間」が必ず勝つわけではない
3巻を読んでいると、何度も判断のズレが起きます。
殿継は警告を退けます。
長尾は功績を焦ります。
大和側は白山方面から大軍が侵入する可能性を低く見積もります。
桜虎も龍門との心理戦で判断を迫られる。
誰も神の視点を持っていません。
これはかなり重要だと思います。
歴史を後から見る私たちは、「なぜそんな判断をしたのか」と簡単に言えます。
でも、その瞬間の当事者には未来が見えていない。
情報も完全ではない。
味方が命令通り動く保証すらない。
『日本三國』は、そこをちゃんと不自由なまま描くんです。
だから「天才だから全部読めました」だけで終わらない。
この不完全さが、未来の架空史なのに妙なリアリティを作っています。
「愚かな味方」が最大の敵になる
3巻を通して感じるもう一つのテーマが、敵よりも味方の判断が怖いということです。
大和では殿継の判断が危機を広げ、聖夷では長尾の独断が本来の戦略を乱します。
どちらの國にも同じ問題がある。
これ、かなり面白い対称構造ですよね。
戦争物では敵を強大に描けば緊張感は作れます。
でも『日本三國』では、それだけではない。
「味方が何をするか分からない」。
その恐怖がある。
つまり軍師の仕事は敵の策を読むだけではなく、自軍の欲や恐怖まで制御することになる。
人間を使う以上、完璧な軍隊なんて存在しない。
だから戦争は盤上ゲームのようにはいかない。
この感覚が3巻で一気に強くなります。
殿継の変化は青輝とは別の「成長」の形
私は殿継の描写も、今後を考えるうえでかなり重要だと思っています。
青輝は考えることで成長する人物です。
一方の殿継は、現実に叩きつけられて成長する。
自分の判断によって人が死ぬ。
それでも判断しなければならない。
頭を下げなければならない。
これは青輝とはまったく違う教育です。
もし殿継が今後も物語に関わっていくなら、3巻での失敗は単なる黒歴史ではなく、彼の人格を作る原点になる可能性があります。
最初から有能な人物より、一度壊れた自尊心をどう組み直すのか。
私はそこが気になります。
龍門と桜虎は「知っている者同士」だからこそ迷う
龍門の空城の計については、軍略として賛否が分かれやすい場面です。
ただ私は、この場面を「空城の計が成功するか」だけで読むともったいないと感じます。
重要なのは、お互いが軍略を知っていることです。
知らない相手なら単純に騙せる。
でも知っている相手には、その知識自体を読まなければならない。
龍門は空城の計を知っている。
桜虎側も知っている。
そして龍門は、桜虎側が知っていることも想定しているかもしれない。
思考が一段、二段と深くなっていく。
最後には「どこまで考えても確信できない」という領域へ入る。
将棋のようで、最後は人間性の読み合いなんです。
この瞬間に問われているのは、兵法書の知識だけではありません。
「あの男なら、ここで命を捨てることができるか?」
「そこまでして時間を稼ぐ男なのか?」
相手の人格そのものを読む必要が出てくる。
だから私は、この橋の場面を単なる策比べではなく、龍門という人物の生き方を使った心理戦として読んでいます。
原作で読むと『日本三國』3巻の印象が変わる理由
3巻は、あらすじだけでもかなり展開の大きい巻です。
金沢の罠。
聖夷西征。
九頭竜城。
殿継の変化。
龍門の空城の計。
青輝の再始動。
ただ、ネタバレを全部知ってから原作を読んでも、おそらく面白さはかなり残ります。
なぜなら3巻の魅力は「何が起きるのか」だけではないからです。
とくに龍門の場面は、結果よりも間が重要です。
軍勢と一人。
弓と茶。
騒がしい戦場の中に、異様な静けさが生まれる。
これを数行のあらすじにすると「龍門が空城の計で時間を稼ぐ」になってしまう。
でも、それではあまりにも薄い。
漫画では、ページをめくるまで相手がどう動くか分からない。
視線。
表情。
沈黙。
コマとコマの間。
その全部が心理戦の一部になります。
また巻末の人物・勢力に関する補足情報へ言及する読者レビューもあり、本編以外の設定部分まで読むことで世界観の見え方が変わったという反応もあります。
『日本三國』は、こういう周辺情報が後からじわっと効いてくる作品です。
本筋だけを追っていると「架空の三國志」ですが、細部を拾っていくと、文明崩壊後の日本で何が残り、何が変質し、何が再発明されたのかという別の面白さが出てくる。
ここまで来ると、戦いの勝敗だけでは足りなくなるんですよね。
なぜこの家が残ったのか。
なぜこの文化が残ったのか。
なぜ未来の日本人が、また國を分けて争っているのか。
3巻は、その問いが一気に増える巻でもあります。
『日本三國』3巻ネタバレまとめ|聖夷西征から青輝再始動へ
『日本三國』3巻では、聖夷の偽情報によって大和軍が金沢方面へ誘導され、その隙を突く形で輪島桜虎率いる聖夷軍7万が奥越へ侵攻します。
九頭竜城を含む3城が短時間で陥落し、大和は一気に窮地へ追い込まれます。
一方、金沢では長尾の独断による夜襲が発生。
自らの判断で危機を招いた殿継にも変化が表れ、菅生ら周囲の人物との関係も動き始めます。
そして後半最大の見どころが、龍門による空城の計です。
龍門はたった一人で聖夷軍の前に立ち、茶を点てながら桜虎と極限の心理戦を展開します。
その目的は派手な勝利ではなく、住民を避難させるための「時間」を作ることでした。
さらに巻末では、前線から離れていた三角青輝が帝への拝謁に向かい、再び物語の中心へ戻ろうとします。
私は3巻を、『日本三國』が「三角青輝の物語」から「三角青輝も生きている巨大な歴史の物語」へ変わり始める巻だと感じました。
主人公がいない場所でも人が考え、失敗し、命を懸ける。
その積み重ねの先で、ようやく青輝の一手が意味を持つ。
戦争の勝敗だけを見れば、まだ途中です。
でも物語としては、もう完全に始まってしまった。
橋の上で茶を点てる龍門。
崩れていく大和の防衛線。
動き始める青輝。
この三つが並んだとき、次に知りたくなるのは一つです。
――青輝は、この崩れかけた盤面をどうひっくり返すのか。
そこから先こそ、「聖夷西征」という大きな戦いの本当の意味が見えてくるはずです。
よくある質問
『日本三國』3巻では聖夷西征が始まりますか?
はい。3巻では聖夷西征が本格化し、輪島桜虎率いる聖夷軍が大和領へ侵攻します。
大和軍を金沢方面へ引きつけたうえで別ルートから奥越へ進み、7万規模の軍勢によって九頭竜城を含む3城が短時間で陥落するなど、戦局が一気に動きます。
『日本三國』3巻の「空城の計」は誰が使いますか?
大和側の龍門が使います。
龍門は九頭竜川の橋で一人茶を点て、迫る聖夷軍に「何か罠があるのではないか」と警戒させる心理戦を仕掛けます。主な目的は敵を完全撤退させることではなく、民を避難させるための時間を稼ぐことでした。
『日本三國』3巻で三角青輝は活躍しますか?
3巻では前線の龍門や殿継、聖夷側の桜虎らに焦点が当たるため、青輝の登場量は多くありません。
ただし巻末では青輝が状況を受けて再び動き始め、ある目的のため帝への拝謁へ向かいます。3巻は、次の局面で青輝が本格的に介入する直前を描いた重要な巻と考えられます。
相沢 透(あいざわ・とおる)


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